年に数回するかしないかという喧嘩を夫とした。
しかも怒鳴り合い。これは結婚してから数回しかない。
理由は。
…腹立つ…。
●愛用している革手袋
…が破れた。内側の下側。
どーもはめたとき、内側の裾を「ぴっ」と引っ張る癖があるが、
それがまずかったのだろうか…。
しかし普通は破れんと思う。
そして豪快に破れたまま使っている。
問題はこれが夫のプレゼントだということだ。
まだ言ってない。
しかし、前回ファンヒーターを壊した理由を一発で当てた夫だ。
これもバレルのは時間の問題か…。
●エレベーター
夕食を家で食べた後「お茶のみに行こう」と出かけた。
戻ったら11時を回っていたんだけど、すごく寒い。
エレベーターに乗った直後から、
どちらからともなく「おしくらまんじゅうをしよう」ということになった。
しかし2人ともコートのポケットに手を突っ込んでいる。
だから。
「いくぜっ!」「おうっ!」と全力によるぶつかり合いになった。
これが子供だったら可愛いのだろうけど、
わしらは2人合わせると身長が350センチほどある。
「どかっ」「べきっ」「ぐわああん」という音とともに互いの体を壁にたたきつけ。
エレベーター、止まりました。
怒られました。すいません。もうしません。
…多分。
また物を壊した。
今日は「ファンヒーター」。
どうやって壊したのかは秘す。
余計な出費だ。
だけど朝4時起きに暖房器具は必須。
自転車で持って帰ってきたら、道行く人がどいてくれた。
ありがとう。
突然だが、「科学」に弱い。
毎度適当なことをいい、
「どーしてお前はそんな根拠のない自信に満ち溢れているんだ」と家人から呆れられる私。
そんなだから雑誌についている「XX宇宙水」とか「見る見るうちにカネが溜まる置物」などには絶対に引っかからない。
わけのわからんパワーなら、もう体内に十分ある。
ところが。
「XX大学での臨床結果により、86%に効果あり」などと訴えられると…コロリといく。
脳幹と視床下部しかないような私にとって、理論的(?)論法は、
猫にマタタビ(明らかに用法が間違っている)になってしまうのだった。
んで、エステ。
「へっ」と見向きもしなかったのであるが、決め手は以下の言葉だった。
「セルライトってダイエットしても取れないの。しかも運動でもダメ。
ジムのトレーナーもこれだけはお手上げだって。
でも最新の機械はこのセルライトを除去してくれる。
今まではハンド(手もみ)とか、もしくは塗る(古くはスヴェルトなど)だけど、
これほどまで効果があるのはこれだけよ」
これで、堕ちました。
セルライトつーのは、脂肪細胞が固まったもので、例えば腕や足を雑巾のように片手できゅっと絞って見ると表面にデコボコができる。それのこと。
絞ったら出てくるぐらいならいいけど、酷くなると何もしないでも浮き上がってくるらしい。
お尻の下部とか太ももとか。
太ってる、痩せてるは関係ないのもポイント。
んで、私が勧められたのはエンダモロジーって奴。
モジモジ君白タイツ版みたいなものを着て、寝る。
体の上を「超強力ローラー付き掃除機」みたいなもので吸ってもらう。
吸引力で吸い上げられた肉をローラーで揉み解し脂肪細胞の固まりをほぐす。
またそのときの刺激によってコラーゲンだかエスラチンだか忘れたけどを生成するようになるので、
肌が綺麗になるそうな。
もともとはフランス生まれで米国に渡って、ケガや手術後のリハビリ用機器として普及。
FDA(米国食品医薬品局、Food and Drug Administration)の認可も受けている。何でかは知らん。
これが体重を減らすよりラインを整えるって言うのが主眼であることも気に入った。
そりゃ痩せたいけど、どうしてもってほどじゃない。2キロぐらい減ったら嬉しいかな。
ガリヤセがカッコいいと思わないし、そんな年でもないし。
(私のカッコいいと思う基準はNYマンハッタンを『1人で歩いて』違和感ない女、だ。
残念ながら最近の日本人女性は肉付きというより骨格が細すぎる気がする)
ただし安くない。
これは最低でも14回は受ける必要がある。10万切ることは稀。
頑張って探して、平日デイタイムで約10万というところを見つけた。
問題は。
痛くない、眠ってしまう…などと書いてあったが「痛い!」。
背中は確かに気持ちいい。おなかも(意外にもOK)。
ところが…足が…痛いのだ!!
「我慢しないで下さいね~」とか言われるけど、
でもね。してしまうんですよ、やっぱ。
だけど全身白タイツの女が、ベッドの上で踏ん張っているのはとっても情けない。
足の指なんかさりげに反っちゃってるし。
でも終わってみると結構すっきり。
マッサージが好きなせいか、楽しかったりする。
んで、肝心の効果。
「ありませんでした」。
ま、ラインはそこそこ整ったのかもしれないけど。金額に見合うほどのものはなし。
エステティシャンの人、青ざめてたな~。
「ふ、普通は…こういうところにくる方は美意識が高いので、食事とか睡眠とかにも気を配られて…効果が出るのですが…」
…すまん。例外で。
どなたかがHPで書かれていたけど、結局エステはホームエステがベストらしい。
同じ金額払うならエステ使用の機器買って自宅でやるほうがいいらしいし、長続きする。
結論。
痩せる、ラインを整える、健康になる。
なんにせよ。
最短は。
田中長野県知事が長野の県名を「信州」にかえたいと発言したという。
これ自体はする必要があるのか否か、私にはわからない。
ただ、田中知事というと思い出すのが「記者は記者クラブで談合している」というような、一連の政治記者への批判だ。
一見、的を得ているように思える。
だが、これは「机上の空論」だとも思う。
氏の発言を都合よく解釈すると、傲慢さの固まりのように取れるだけに恐い。
情報には流動性の高いものとそうでないものがある。
本、雑誌などストックされるものは非流動的であり、情報よりも知識に近い。
もっとも動きが早いのがテレビ、ラジオ、ついで新聞になる。
この手は取材して記事を書いて(アナウンサーが読んで)終わり、と思われているが、実際の生成はもうちょっと複雑だ。
「なぜどこも記事が同じなのか」ということについて理由はいくつかあるが、第一には報道機関が頼りにしている「通信社」の存在があるためだといえる。
情報の基本であり、よりどころとなる情報発信源。世界的にはロイター、AP、日本では共同通信、時事通信がそれに当たる。これらに所属している記者、カメラマンに求められる特性は、正確性、速度、網羅性、そして特落ちナシ、だ。
彼らの記事が署名入りで出ることはほとんどない。だが、普通のマスコミならまずこれら通信社の情報を得ている。契約していない社の理由は(他にあげることは可能だが)、「金がない」という一点に集約される。
通信社の記事と照らし合わせ、整合を見る。知らないネタや日程、世の中の動きをチェックする。通信社の記事を見て初動するネタというのも多い。
逆に通信社が気づいていない情報は「独自ネタ」になる可能性が高い。また独自ネタだと思って動いていても通信社が流したとたん、終わる情報もある。
まさに通信社は指針だ。
「そんなのおかしいだろう?」と思う人もいるだろう。
でも、じゃあ自分の判断に絶対の自信をもてるか?
どんな状況でも、どんなプレッシャーの中でも、たった一人で間違わないというほど優れているのか?
例えばアフリカの小さな国に派遣される。
記者は自分1人。2つの情報を得た。ひとつはその国の外務次官が罷免になったという話。もう一つは、蘭の希少種が見つかったという話。
会社に報告すると「一つでいいよ」という。(スペースや人員、時間帯の都合で全ての情報を流させるわけにはいかない)
さあ、どっちを選ぶ?
情報の価値観というのは、人によって大きくかわる。
その外務次官が豪州のある触媒精製会社に有力なルートを持っており、
罷免はそこから大量輸入している日本の大企業に深刻なダメージを与える、という知識。
蘭の希少種から、人ゲノムの解析により抗エイズ薬として使えることが明らかな酵素が取れる可能性がある、という知識。
この二つはもちろん嘘だけど、この辺鄙な国で1人で生活している記者が「政治系だろ」と思えば前の記事、「自然こそ大切」と思えば後の記事。知識がなければどっちも出さない、ということもある。
人1人の判断ではこれで終わってしまう。
これを避けるために会社、組織が存在する。
報告を受けたデスクが知識を持っているならば、両方出させるだろう。
そのデスクが知らない場合でも、その上が知っている可能性がある。
(もっともこの場合、情報の内容がそこまで上がる可能性は5分5分)
いくつにも重なるフィルター。
記者クラブはを現場レベルでそれを機能させている。
多重フィルターは、同じような記事を生む代わりに、
「どうしようもない致命的な間違い」を減らすことになる。
もちろん、田中氏がいうのは「なんでもかんでも談合はよせ」ということだったと思う。
実際、ただの発表ものでもいちいちライバル社同士ですり合わせをやってる。
そしてこういった何でもない情報のほうが、圧倒的に多い。
だけど、じゃあなんでもかんでも単独取材だけで突っ走る…というのは早計だと思う。
そこには「俺ならわかるのに」「俺なら判断できるのに」という驕りが見え隠れしている。
そしてそう思う人ほど、情報発信源に向かない。
世の中の多様性は、人一人の頭で収まるほどちっぽけじゃない。
客観的な情報など、存在しない。
もちろん、そうなろうという努力は絶対に必要だ。
巨大掲示版サイトなど、面白い話がそこかしこで拾える。
でもそれはメディアじゃない。
発信したことに責任を負うものがメディアだから。
でかいネタであれば、社会が動く。
対象のバリューが高ければ世界が動く。
逆に間違えば良くて裁判。
正誤だけでなく、気に入らないという理由で裁判になりうるし、
そうでなくとも顔見知りだから相手、関係者、周辺の人々からの言葉、態度が如実に変わってくる。
その責任を個人で背負える覚悟が必要だ。
ある掲示版であるゲームソフトをクソミソにけなす。
その発言者は、ゲーム会社の重役を前に同じことが言えるだろうか。
仮に言ったとして、その重役を納得させられるか。
(「貴重なご意見ありがとうございます」は「とっとと帰れ、馬鹿」の丁寧語の場合であることが多い)
さらにその会社から訴えられて受けて立てるか。
こうした重圧を軽減するために、意識・無意識問わずすり合せに走る。
なくしたいが、完全になくすのも別の危険をはらんでいる。
特に情報を取捨選択するのは見る側の責任だという意識がゼロに近い日本では。