血管切れそうになるんで、あえて触れないでいましたが、
すとらいく・いーぐるさんちの「つぶやいてみる」で読んで、
やっぱり無視できませんでした。
頭がおかしいんではないだろうか。
毎日新聞での説明、反論。
自分に都合のいいことだけ正当化できるこの思考回路はなんなのだろう。
作者のいう限られた愛情生活を人として繋ぐために、猫を飼う。
だけど、その子猫は崖から落とす。際限なく産むから。
猫を飼うことは作者がはっきりと「自分勝手な傲慢さ」だと認めている。
つまり彼女にとって、猫は道具だ。
そうでなければまた、子猫を殺せるわけがない。
道具だから捨てられる。
悲しいけど、そういう愛し方もあるだろう。
むかつくのは、次の詭弁だ。
「子猫を殺すとき、自分も殺している」
嘘だね。
だったら自分が死ねばいいだけで。
自分が死ぬことができないから、それを子猫に預け、
殺すことで自分の一部も死んだ…気になっているだけだ。自己欺瞞。
本当に痛みを分かち合うなら、なぜ目の前で殺さない?
自分の手で首をひねるなり、ナイフで切り裂くなりして、
子猫が苦しみの声を上げながら、その小さな身体から命が抜けていき、
やがて息途絶えるところまで見届ければいい。
自分がしていることを、どんな理由が背後にあろうと、ちゃんと見ろ!
知ることは、癒しにはならない。
さらに苦しみをもたらすことのほうが多かったりする。
だけどそれでも見る。
かすかに、本当にかすかだけど、それならまだ愛と呼べるのかもしれない。
でも。崖から投げれば、辛いのはその瞬間だけだ。
あとはなかったことにできる。見なかったことにできる。
実際にこの肌で、目で、舌で、鼻で感じることと、想像の差は、
その出来事が深刻であればあるほど大きい。
絶対に埋まることはない。
自分を殺してなんかない。
自分の手に余る増えた道具を捨ててるだけ。
いいよね、猫は怒らないから。
…本当は猫が全部わかってたら、どうする?
死んだ後、その帳尻を合わせなきゃいけない世界があるとしても、できるのかな。ふふ。
なぜ避妊、去勢手術をしないのかの理由も笑った。
子宮が新たな命を生み出す源で、それを絶つことは生命力を断つのと同じ、
さらに上から見下ろす行為だ、と。
あはははは!
猫を道具にしているのに、ここだけ生命扱い?
それは自分がされたら強烈に嫌だから、と自分に置き換え拒否反応を示しているだけ。
それに上から見下ろすようで嫌だ?
生命に上下はない、というのが彼女の主張なら。
状況次第では、人間の子供も崖から突き落とせるわけですね。
行動のすべてが叫んでる。
「猫だからできました。都合のいい猫の子供だから。
私は人間より猫を下に見てます」と。
この人が猫に対し、自分を投影してるのだとしたら。
(避妊は絶対にいや、というところから垣間見る)
誰かに殺してもらいたいのかもしれない。
生きているのがしんどいのかもしれない。
その時、望んでいる殺され方が、崖から落とされる…?
しかも生まれたての子猫のように、何もわからない状態のままで。
楽だね。
誰かしてあげればいいのに。
意識を覚醒させたまま、水面ギリギリまでのバンジージャンプ。
目を閉じられないようにして、自分が落ちる瞬間を絶対に見させる。
殺した子猫の数だけ、何度も何度も繰り返して。
どうも、いやな思いをさせてしまったみたいですみません。
私も二度と触れるつもりはなかったのですが、毎日に出た釈明文読んでプッツンとなってしまいました…。
とりあえず今のところは、タヒチを管轄するポリネシア政府が、きちんとした処分を下してくれることを期待しています。
あああ、鷲さん誤解しないで~!
別に嫌な思いなんかしないから。
怒りを感じるようなことを考えるのは、
寧ろ「凄くいいこと」というのが私の気持ちです。
だってそれだけ揺り動かされて、いろいろ考えるから。
結局怒りとか深い感情は、自分を知るための旅。
それがないほうが、ダメージ受けます。
なぜ、告白したのか、理解に苦しむよね。
言葉を扱うプロゆえに、作為的だとしか思えない。
どんな意図があるのか、怒りとはまったく別の部分で
凄く気になります。