この週末、敬老の日にちなんで、あちこちでおじいちゃんおばあちゃんの作品を見た。
その中のひとつ、書道展で見た、何人かの書。
「もう一度 会いたい人がいる」
書いているのは全部、80歳以上の方だ。
書は正直にいってどれも稚拙だった。
なのに、視線をはずせない。
その文字にこめられた気持ちが本物だから?
80歳を超えたとき、自分は誰に会いたいと思うのだろう。
なぜ、何を思い出に、そう感じるんだろう。
それは懐かしいのか、楽しいのか、悲しいのか、寂しいのか。
見てたら、なんだか泣けてきた。
なんて素敵な言葉かな
万感の想いがそこにあるから感動したんだろうね
今、年をとって若い頃を振り返ると
全然違う時間の流れの中に自分はいたんだと思う
年寄りたちは更にその向こう側にいて
現在の私からはブラックホールに向かう宇宙船のように
止まって見える
本人たちはもう当の昔にブラックホールに飲み込まれて
圧縮されてしまって無なんだけど
時間の流れが違うから私からは止まって見える
違う時間の上にいると
価値観も全然違うだろうから
年をとって死を目前にしないと分からないんだろうねぇ
でも多分きっと私たちが想像するよりももっと
さっぱりしてるように思うんだけど
え?
言ってることが全然わからん?
ごめん;;
Posted by: tyler at September 20, 2006 05:36 PM私が思ったのは、tylerさんは激動の日々をくぐりぬけて今があるってこと。
だからそんな風に感じるんだろうね。
んで、「以外にさっぱり」という発言に、
今の幸せ(貴方が気がついているかわからないけど)を感じた。
なかなか今が充実していないと、出てこないよ。それ。
私は自分の未来を考えると、いつも思う。
「どこで、何をして、どうなっているか、さっぱりわからん」と。
それは状況もそうだし、自分の精神状態もそう。
そりゃあ10年ぐらい前よりはまだなんとなくつかめそうなんだけど、
でもやっぱりさっぱりわかんない。
小学生の頃から「居つく」という感覚が希薄で、つねに「どこかへ行く」って思ってた。
最初に感じたのは多分、小学3年生ぐらい。
だから…80歳を過ぎ、誰かを思うとき、それが満ち足りたものじゃなくてもいい。
寂しかったり、悲しかったりしてもいい。
一番怖いのは、何も感じないこと、会いたい人がいないってことかな。
んーでもよくわかんない。
あ、どうしよ。80歳過ぎても同じこといってたら(笑)
またやった(汗)
以外にさっぱり→意外にさっぱり、ね。
あ~。
いやさすが
わかってる
だからkimさんが好きなの
私はとても幸せ
貧乏で何もないけど
家族がいる幸せ
子供の頃からずっとほしかったものが今ここにあって
それを毎日味わってる
そしてそれが日々の生活の中で少しずつ水増しされて
薄くなって
慣れて
痛みに鈍感になって
年をとるんだと思ってる
でないと人生傷つきまくりでたまんないもんね
kimさんがノマドタイプなのか
活火山タイプなのか
分からんけど
とりあえずは現役冒険者ってことで(笑)
今わの際も何かを求めて足だけが動いている
そんな年寄りも素敵だ