期待感がもてないまま突入したW杯。
残念ながらアレが日本の実力だと思った。
ちょっとした理由から以下反転で。
キリン杯や強化試合の姿はありのまま。
アジア杯が出来すぎ…というよりも、
「集団でプレーするというのは、組織力の誇示」という基本事項を
示したに過ぎない。
目立つスターがいなくとも組織として機能すれば、チームは磨かれる。
いい例が米国だし、スイスだってそうだ。
非常にポテンシャルの高いトルコを破って出てきた力をきちんと発揮できているのは、
チームの自信と、そこまで培ってきた戦術が合っているということか。
・ジーコは経験を積めばいい監督になったかもしれない。だけど経験なしで、
日本のような途上国を率いるには無理がある。
・ブラジルをはじめ、南米の選手には「最初から備わっている感覚」があると聞いた。
それは日本人が「わび・さび」といわれてなんとなく理解できるのと似ている
のかもしれない。
子供の頃からボールを蹴り、親しみ、単なるゲーム以上、自分の未来を重ねて
成長してきた人たちには「言わずもがな」のこと、らしい。
ジーコは、日本人にはそれがないことを最後まで理解できなかったんじゃないか。
南米では個々の能力がそれなりにある選手を集め、しばらくプレーさせれば、
ちゃんとチームになる。たとえばブラジルのパレイラ監督が、何か特別なことを
しているようには全く見えない。ロナウジーニョやカカやアドリアーノは自分らで
勝手に「その瞬間のブラジル代表」作り上げている。この場合作り上げるとは、
結果を出す、という意味だ。
・では、そういうものが選手の中にない国が活躍するには?
戦術が必要。特に最近のサッカーはこれに頼る部分が凄く大きくなっている。
科学、統計学、数学を利用してもおかしくない部分がある。
前時代の戦争に似ているかもしれない。
しかしジーコに戦術はなかった。
足りない部分に当てはまるタレントを持っている選手を放り込み、
あとはピッチの中で作ってくれ、と。
そのイマジネーションは日本人にはない。
・トルシエが中村を外した理由が少し、わかった。
フィジカルの大切さを思い知らされた。
たとえば、オーストラリアのサッカーは決してスマートではない。
ごつごつした、ガサツな、肉弾戦。技術もあるけど荒い。
だけどその荒さが強力な武器になる。戦術の浸透で、簡単に流れの中から
得点できなくなってくると、セットプレーでの比重が非常に重くなる。
このとき必要なのがフィジカル、そして高さ。
フィジカル高さへのケアが、ジーコにはほとんど見られなかった。
選んでいる選手も小柄だ。タレントがフィジカルの強さや高さを凌駕する
ブラジルにおいては、あまり重視されなかったのだろう。
でも…チェコが初戦でコラー(コレル)を失い、セットプレーのターゲットを
なくしてあっさり敗退したように、高さと強さは今や最大の武器だ。
・中村は確かにセルティックで活躍した。
でもそれは「他にフィジカルで優る選手が沢山いるチーム」だからだ。
中村の身体的ひ弱さをカバーできる余力がチームにある。
だからあの左足が生きる。だけど似た体格の日本では彼の弱さは
アキレス腱だった。
最終戦、稲本を使ったのがうれしかった。試合数の多さ、コンタクトの厳しさ
(イタリアとは違う意味で)で知られるプレミアでボランチとして働ける選手が、
日本の中でどれだけいるのか(もっとイナにはがんばって欲しい…)。
茂庭ではなく松田を呼べという声も理解できた。
イタリアのCB、カンナバロは背は低い。だけどタレントは豊富だ。
セットプレーで攻めあがったときの決定力、空中戦での強さ
(うまくファウルせず、敵を土台にして非常に高く競り合う←これはテレビでは
判りにくい。瞬間を剥ぎ取る写真をみないとわからない)
あとGKが飛び出しているときDFが辛うじて蹴りだすという場面は、
大抵この人だ。ま。CBだから当然かもしれないけど、ボールに対する嗅覚を感じる。
これくらいあれば170センチ台でもやれるのかもしれない。
・中田はやはりモノが違った。彼だけは現実がわかってた。
川口は背、セービング技術とか言う前に気持ちがちゃんとサムライだった。
結局、判っていたのは98年を知ってる選手だけだったのかもしれない。
・日本には「プロ」の監督が必要だ。選手のときのバリューなんてどうでもいい。
でも川淵氏が「個の力の差」とか言ってて…。それは事実だけど、
そんなことは昔から判っている。問題はその足りない個を補うような「何か」が
全くなかったことだったのに。
高校野球なんか監督次第、とはよく言われるけど、それと同じ…。
ああ。すごく不安。