行きがかり上、通訳の人と接する機会がままある。
この場合はプロだから別にいいのだけど。
緊急に必要となり、スターと呼ばれる人が、近くにいた現地語ができる日本人に頼む場面にしばしば居合わせた。
翻訳や通訳というのは、実に難しい。
「外国語ができればいいんでしょ」と思う人がいるらしいが、それは大きな間違いだ。
そう思って、それを目指して外国語を学んでいる人はさっさとあきらめたほうがいい。
そんな人に訳される本は可哀想だし、通訳される人は悲惨だ。
単に読み書き話しができればいいのではない。
試されるのは、その人の人格、思考、バランス感覚。
つまり「全て」が問われる。
未知の文章を読むに当たり、理解力はもちろん、その暗喩が指すもの、行間。
プロットが緻密なほど難しくなる。
そして特に必要なのが文章力。
「作家と同じぐらい書ける」ことが必要となる。
すごいへんてこな文、判りにくい文を見たとき「これは作者なのか、翻訳者なのか」と考えてしまう。
本文中で判断付かない場合、翻訳者の別の著書を見て考える。
通訳も大変だ。
日本語は、表意文字の漢字があり、それを組み合わせた熟語がある。
まして「言葉」は便利なようで、じつに曖昧で不正確な代物。
極端な話、私の見る「赤」と隣の人が見る「赤」は、本当は違う色なのかもしれない。
あいまいなコンセンサスを元に、話し手の言葉を瞬時に最も適切な言葉に置き換えていく。
通訳の人間経験が浅ければ、どんな含蓄のある話も無味乾燥でひどく詰まらないものに変わる。
ボキャブラリーはもちろん、表現力、さらには口調、速さ、表情。
話すことはボディランゲージと一緒。
もっとも、外国語に慣れている人々(外国人プレス)などは、通訳の方を決して見ない。
耳だけを傾けて、目はその対象者を追いかける。
言葉が理解できなくとも、その人物がどんな顔で、口調で、話したかをじっと観察している。
これに対し、日本人が外国人に当たる場合、必ず翻訳者のほうを見る。
一言も聞き漏らすまいとして、しゃべってる本人にはおざなりの注意しか傾けない。
不思議だ。
もっというなら、通訳は対象者と親しくなることも必要になる。
この人はどういう性格なのか。思考体系をもつのか。
どんなことを怒り、不快に思い、得意は何で不得手はこれで、
自分のことをあけすけにいいたいのか隠したいのか、笑わすのが好きか、
それとも…。
そうしたことを知らないと、正確な通訳はできない。
しかし現実には通訳する相手と話しこむような時間はない。
初見ですぐに、ということもある。
でも一言、二言なら会話もできる。そのときに何を話すか。何をつかむか、感じるか。
相手が通訳者を魅力ある人だと感じれば、話も弾むかもしれない。
そうすれば、必要な情報は努力よりも多く手に入る。
翻訳だって同じ。その人の書いたものを他に読んでいるか否か。
作者に疑問点を問い合わせたりするか。
そういった作業の積み重ねで、浮かび上がってくるものがある。
それを知るのは、プラスになる。
ただし。判断する人の思考が偏ってたら全てパー。
1番困りモノは「これはこうに違いない」「きっとこれだ」「こうに決まってる」
こうした思い込みの激しい人に作業されるなら、無勉強な人にやってもらった方がマシ。
頭のギアをいつもニュートラルにできる人(こういう人は大抵、どこでもいい仕事をする)がベスト。
でも難しいことに、上の思い込みも対象者との関係が親しければアリ。
むしろ暗に示している部分を汲み取って補ってくれるのは物凄くプラスになる。
外国語―日本語のやり取りだけじゃないけど。
日本語―日本語、人―人。全ての場合に通じるんだけど。難しい。